富士山の鬼

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問題

記録に見る富士山 万葉集の中には、富士山を詠んだ歌がいくつも収められている。 「田子の浦に うちいでてみれば 真白にぞ ふじの高嶺に 雪は降りける」 (3.318) は山部赤人による有名な短歌(反歌)である。 噴火の年代が考証できる最も古い記録は、続日本紀に記述されている、天応元年(781年)に富士山より降灰があったくだりである。平安時代初期に成立した『竹取物語』にも、富士山が作品成立の頃、活動期であったことを窺わせる記述がある。 江戸時代に、最も激しい活動を見せたのは宝永四年(1707年)12月16日に発生した大爆発であり、江戸の市街に大量の降灰をもたらした。この記録については、文書、絵図等により多数残されている。 その後も、噴煙や鳴動の記録は多く残されているが、記述から見て短期間かつ小規模な活動で終わったものと推測される。 文化財としての富士山 * 「富士山」 - 記念物(特別名勝:1952年11月22日特別指定) * 「富士山原始林」 - 記念物(天然記念物:1926年2月24日指定) * 「富士風穴」 - 記念物(天然記念物:1929年12月17日指定) ユネスコ世界遺産 1990年代初めから、富士山をユネスコの世界遺産に登録しようという運動が行われている。当初は世界遺産のうちの自然遺産への登録が検討されていたが、地元調整がつかず環境管理が困難なため国は推薦を見送った[1]。現在は文化的景観という観点から世界遺産のうちの文化遺産への登録手続きが進められており、2007年に暫定リストへ登録され、今後国際記念物遺跡会議による調査が行われることとなる。 参考 * 「富士浅間宮本殿」 - 重要文化財(神社)(1907年5月27日指定) * 「富士山本宮浅間神社本殿」 - 重要文化財(神社)(1907年5月27日指定) * 「富士御室浅間神社本殿」 - 重要文化財(神社)(1985年5月18日指定) * 「北口本宮富士浅間神社西宮本殿」 - 重要文化財(神社)(1953年3月31日指定) * 「北口本宮富士浅間神社本殿」 - 重要文化財(神社)(1953年3月31日指定) * 「北口本宮富士浅間神社東宮本殿」 - 重要文化財(神社)(1907年8月28日指定) 地域経済における富士山の役割 富士山を源とする伏流水を利用し、周辺地域で製紙業や医薬関連の製造業などの工業が活発に行われている。また、富士山の伏流水はバナジウムを豊富に含んでいるため、ミネラルウォーターとして瓶詰めされ販売されている。また、富士山一帯の宗教施設への参拝や避暑、富士登山を目的とする観光客相手の観光業も活発に行われている。 富士山の利用について、静岡県側が自然・文化の保護を重視するのに対し、山梨県側は伝統的に観光開発を重視しており、山頂所有権問題、山小屋トイレ問題、マイカー規制問題[2][3]、世界遺産登録問題[4][5]等、過去から現在に至るまでの折々で双方の思惑の相違が表面化している。 美術における富士山 凱風快晴 葛飾北斎 凱風快晴 葛飾北斎 浮世絵 江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎は富士山を題材にとった46点の連作版画『富嶽三十六景』(1831年頃)を描いた。制作当初はその名の通り36点で完結するはずであったが、人気を博したため10点が追加された。なかでも富士山の雄大な姿を描いた作品として『凱風快晴』、『山下白雨』がよく知られており、それぞれ俗に、赤富士・黒富士の名で親しまれている(『富嶽三十六景』には、上記の他にも波の大胆な描写で知られる『神奈川沖浪裏』などの傑作がある)。歌川広重(安藤広重)の『東海道五十三次絵』でも、富士山を題材にした絵が多く見られる。 その他日本画 浮世絵に限らず、日本画全般の題材として「富士見西行」がある。巨大な富士山を豆粒のような人物(僧、西行法師)が見上げるという構図で、水墨画や彫金でも描かれている。 また日本画家・横山大観、片岡球子などは富士山を好んで描いている。 富士山と文学 すでに見たように、富士山は和歌の題材としてよく取り上げられる。 万葉集には山部赤人の「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ(ぞ)富士の高嶺に雪は降りける」(巻3・318)という富士山を歌った有名な反歌があるが、その次に作者不詳の長歌があり、その一節に「・・燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ・・」(巻3・319・大意「(噴火の)燃える火を(山頂に降る)雪で消し、(山頂に)降る雪を(噴火の)火で消しつつ」)とあり、当時の富士山が火山活動を行っていたことがうかがえる。 『新古今和歌集』から。富士の煙が歌われている。 風になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしらぬ我が心かな 西行 (#1613) また『竹取物語』では、大勢の武士を登山させて、かぐや姫が時の天皇に贈った不老不死の薬を、天に一番近い山(富士山)の山頂で燃やしたことになっている。それからその山はふじ山(富士山・不死山・不尽山)とよばれるようになった、と命名説話が残っている。 また、「八面玲瓏」という言葉は富士山から生まれたといわれ、どの方角から見ても整った美しい形を現している。 富士北麓地域では江戸からの富士参詣者が往来し、江戸期には地域文芸として俳諧が盛んであった。近代には鉄道など交通機関の発達や富士裾野の観光地化の影響を受けて、多くの文人や民俗学者が避暑目的などで富士へ訪れるようになり、新田次郎や草野心平、堀口大学らが富士をテーマにした作品を書き、山岳文学をはじめ多くの紀行文などに描かれた。また、北麓地域出身の文学者として自然主義文学者の中村星湖や戦後の在日朝鮮人文学者の李良枝がおり、それぞれ作品のなかで富士を描いており、中村星湖は地域文芸の振興にも務めている。 太宰治が昭和14年(1939年)に執筆した小説『富嶽百景』の一節、「富士には月見草がよく似合ふ」はよく知られ、山梨県富士河口湖町の御坂峠にはその碑文が建っている。直木賞作家、新田次郎は富士山頂測候所に勤務していた経験をもとに、富士山にまつわる作品を執筆している。直木賞受賞作『強力伝』は富士山の強力(ごうりき)の生き様を描いた作品である。その他新田には、『富士に死す』、『怒る富士』、『芙蓉の人』、『富士山頂』といった作品がある。また、詩人草野心平も富士に関する詩を数多く詠んでいる。

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